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モラルこそが社会の実態である

世の中のほとんどの事は内輪で形成されている。そして、内輪で起こったほとんどの問題に対して法律が介入する事はない。多くの場合、法律は執行される事のない抑止力であって、多くの場合、問題は当事者間において消化される。
そもそも人間以外の生き物は法律などに支配されてはいない。原則として、食べたいものを食べ、寝たい時に寝て、時には命を奪い合うような激しい争いをする事もあるけれど、それを法律が咎めるような事はない。それでも、集団で生きる生き物には、集団で生きるためのモラルがある。ただ、それらは本能の一部であって、法律のように一朝一夕に作り変えられるものではない。
人間の生活は日々激しく変わり続ける。命を守るための手段も多様化し、奪うための手段も多様化する。便利さの反面、思いもよらぬ弊害が起こったり、社会構造が大きく変わったりする。
それだけ社会が大きく変わり続ければ、モラルも猛烈な勢いで変わり続けなければいけない。それらは最初は個人間の水掛け論から始まり、需要が高まり、共感が強まると社会的な大きなうねりとなり、国を動かし、法律という形で社会全体に絶対的な影響を与える形で固定化される。法律は強大な暴力によって守られ、従わない者は力づくでねじ伏せられる。ただ、その力はそう簡単には行使されない。多くの場合、問題は内輪で消化される。内輪では最も力の強い者がルールとなり、独自に形成されたモラルによって解決が図られる。社会が多様化しているのと同様、モラルも多様化していいと思う反面、力の強い者に都合の良いモラルは時に暴力的なまでの偏りを産み、それが当事者間ではとても解決仕切れない軋轢となった時に、いよいよ強大な暴力に守られた法律が(時にマネーのハンドサインを形作りながら)介入する事になる。ただ、法律は社会の変化に柔軟に対応できるほど軟派な存在ではなく、よほどの大ごとでもない限り簡単には重い腰を上げる事はないし、一度決めてしまった事に関して簡単に方針を転換する事もない。法律は最終手段であって、やはり手早に身の回りの問題を解決する指針となるのはモラルであり、それこそが、より原始的で本質的な社会そのものであると思う。
大局で醸成されたモラルと、局所で形成されたモラルとの鬩ぎ合い、簡単には相容れない前提の違いがある場合もあり、特にネットなどでは論争が起きやすいのだと思う。それが、モラルの新陳代謝を早め、社会の過激な進化への適応を図る手段として機能しているのと同時に、啓蒙活動が過剰になり過ぎて、火の粉を撒き散らしてしまう事もある。社会はモラル醸成の場を求めている。けれど、それが市街戦になってはいけないという事も分かっている。であれば、作ってしまうというのはどうだろうか。モラル番長を自称するモラリスト達が様々な価値の定まっていない事象に対して、本来あるべき形を示し、それらの是非を参加者が支持によって表明する。意見を出すのに名乗りなど不要、先入観を排除する意味でも匿名大歓迎の中で様々な意見を戦わせ、醸成させて、時代に合った究極のモラルを作り出す聖戦の場。公式に、そのようなものがあっても良いように思う。
そして、そうして作り出された様々なモラルを周知する存在がいてもいいと思う。法律は複雑な手続きを経て執行される。そこには多くの労力と金銭が消費される。内輪の中で執行されるモラルはもっと単純な構造で成り立っている。最も力の強い者がルールを制するという単純な構造。クラスを仕切るのは頭のいい者でも、スポーツができる者でもない、暴力を躊躇なく行使する事ができる理不尽な存在である事が多い。その理不尽な存在が、皆に支持されるモラルを守るために力を行使するとしたら、その手段が多少理不尽であったとしても、ヒーローと呼ばれる存在になれるのではないだろうか。警察や弁護士など、法を守るための存在に加えて、内輪にも口出しをしてくれる、モラルを守る番人のような存在。ヤクザはまさにそのプロフェッショナルのような存在であって、解体した先に就く仕事がないのであれば、モラリストになって頂き、警察の介入できないような細かな問題で本領発揮して頂くのも良いのではないだろうか。

by uskpn | 2020-07-06 23:53 | 社会 | Comments(0)